してもらっていいですか
突然だが(一年ぶりで突然だがもないもんだが),リラックマにしてみた。妻がハマっているので・・
さて,「ら抜き言葉」等については巷間さまざまに議論があるわけだが,自然言語は習慣であるから,あまり旧弊に固執して目くじらを立てるものではなく,やがて慣れる日が来るのであろうとおもうのである。しかし娘からメールで「~してもらっていいですか」というのが来るに及んでは,さすがに黙っていられなかったのだ。
なぜ「~してもらっていいですか」がよくないのか(あるいは,別に悪くないのか)については,おそらく各所にて激論が戦わされているであろうから深入りを避けるが,ことりの日本語感覚では「内容としては依頼なのに,文末が許可を求める表現になっている」という点が気になる。「~してもらえますか」ならあまり気にならない。できれば敬語を使って「~していただけますか」なら申し分ない。
だがいずれ,「~してもらっていいですか」も違和感がなくなり,「いいですか」は「許可を求める表現」ではなく「一般的に相手の意向を尋ねる表現」と説明されるようになるのだろう。文法とは恐ろしい学問である。
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コメント
なんともコメントのしようがありませんな。
「リラックマ」も「してもらっていいですか」も。
ただ、見た瞬間から、開けるたびに薄笑いが洩れてしまう。
困ったものです。
投稿: 旅人 | 2009/11/09 17:25
お久しぶりのエントリお待ち申し上げておりました。
「ら」抜き言葉は可能表現を「-eる」に集約していく、進化の過程と思って大目に見ています(旧語族の私は意地でも「-aれる」を使い続けますが)。
敬語も確かに妙な言い回しを見かけます。
「1万円からでよろしかったでしょうか?」
言葉は生き物、常に変化するものではありますが・・・
今、TBS系で現代の青年医師が幕末にタイムスリップするドラマをやっていますが、「あざーっす」の時代の人間から見れば「かたじけのう存ずる」の時代は、もう半分外国ですね。
実際、台湾を訪れたとき、戦前の日本の教育を受けた方々の言葉遣いは「半世紀前の日本語」がそのまま凍結保存されたような、カチッとした日本語でした。一種のタイムスリップ感がありましたね。台湾の方々からすれば、我々の言葉はグニャグニャした奇妙な日本語に見えることでしょう。
いっそのこと、私たちが心地よく感じる言葉を「昭和語」として、学術的保存の対象にしたほうが良いのかもしれませんね。
投稿: かめかめ | 2009/11/21 15:12